最近は一度読んだ国際関係の本を何冊か読み直しつつ、色々考えを巡らしているんだけど、夢の中にまで国際関係のことが出てきた(笑) ということで今日は時事ネタじゃなくて国際関係論の、少し前にこのブログでも自分が興味を持っていると書いたネオクラシカル・リアリズムについてちょっと書く。と言ってもまだ上手くまとまっていないので、少しでも頭の中を整理するための自分用の記事という感じ。理論に全然興味が人はごめんなさい。でも少しでも興味を持ってもらえれば嬉しい。
自分のゼミには理論が好きな人がいなくてちょっと寂しんだ。この前も雑談で「
脅威均衡論」について簡単に説明したけど、全くどうでもいいっていう反応だったお(´・ω・`)ショボーン 以前KB大の法学部のゼミと一緒に勉強会をした時もそうだけど、今月から参加している自分の大学の法学部のゼミの勉強会でも感じたのは、法学部の人はそれなりに理論に詳しい人が結構いるということ。逆にうちのゼミが例外なだけかもしれないけど^^;ちなみにこのブログの読者には自分の大学の法学部の人も数名いるらしいから分かるかもしれないけど、そのゼミは今『戦国策』を使って授業をしているらしいです(・∀・)ニヤニヤ 先日知ったんだけど、「
遠交近攻」って『戦国策』に書かれていたんだね。
それにしても俺って結構マイナーなこと(日本語の文献がかなり少ないもの)ばかりに関心を持っている気がする。「戦略文化」や「ネオクラシカル・リアリズム」をググってもちょっとしかヒットしないし、このブログがグーグルの1ページ目の上位にくるくらいだから(苦笑)
理論に関して、変数(考慮する要素)は少なければ少ないほどいいという「
オッカムの剃刀」という考え方がある。
大雑把ながらよい指針は、最も単純なアプローチから始めることである。というのも、もし単純な説明が可能なら、それにこしたことはないからである。国際システム・レベルの説明が最も単純なので、よき出発点になる(ナイ『国際紛争』48ページ)。
ウォルツのネオリアリズムもこの考え方に依拠しており、国家が共通して影響を受ける国際システム要因から国家行動の説明を試みる(国際システムが国家行動を規定する)理論である。
国際システムのアナーキー性を重視することから国家の行動原理は自助となり、その国家行動は類似してくると理解される。つまり、国際社会における国家の差異とその機能の分化は考慮する必要がなくなることを意味する(須藤『国家の対外行動』54-55ページ)。
しかし、実際は国家はそれほど似通った行動をしているわけではない。その顕著な例は戦後の日本である。
リアリズムの観点からすれば、日本の安全保障政策と同盟行動ほど、その予想を裏切るものはない。ポスト冷戦期に日本は核武装するというケネス・ウォルツの「予想」が見事に外れたように、リアリズムでは日本の非核政策を説明できないからである(須藤、169ページ)。
そこで、
国家の対外政策に関する優れた記述は、システムや国内、そして他のもろもろの影響を考慮し、政策のどの面がどの要因によって説明できるかを具体的に示しているべきである(シュウェラー「危機の二十年 1919-39―なぜ国際協調は生まれなかったか―」『国際関係研究へのアプローチ』161ページ)
と考えるザカリア達ネオクラシカル・リアリストが登場した。
新古典的現実主義は独立変数と媒介変数の両方の役割を重視する(シュウェラー、160-161ページ)
簡単に言えば、ネオリアリズムが、「国際システム→国家行動」と考えるの対して、ネオクラシカル・リアリズムは「国際システム→国内要因→国家行動」と考える。この媒介変数としての国内要因とは、例えば意思決定者の認知などである。
新古典的現実主義のアプローチは、構造を行動の許容原因(permissive cause)として捉える。すなわち、構造が、事象を起こ「させる」のではなく、起こ「り得る」条件をつくりだすと見るのである。(シュウェラー、171ページ)
構造的条件は、あくまで特定の行動を許容する「潜在的」原因に過ぎない。構造的条件はアクターの行動に機会をもたらし、あるいは抑制を強いることによってある出来事がおこるのを可能ならしめるのである。A. ウォルホーズがかつて述べたように、国家の存続がそれほどかかっていない場合には、国家を取り巻く環境から生じる危険、あるいは好機が、いわゆる容赦のない(あるいは抗えない)強制力につながることはない。この強制力とは、同じ反応を引き起こさせたり、政策決定者から選択の余地を奪ってそう行動せざるをえないようにさせるものである。歴史上、政治指導者が、しばしば予測できなかった意図せざる方向にではあれ、出来事を形づけ、歴史の指針を変えた事例が数多くある。このことはシステム・構造要因によってアクターたちが同一の行動を強制的にとらされることはめったいにないということを示している(シュウェラー、166ページ)。
ただし、ウォルツは国際システムが国家行動を規定する考えているが、
国内要因が決して国家の対外行動に影響を与えることはないと主張しているのではない(須藤『国家の対外行動』58ページ)。
リアリズムが対外政策論になりえないと主張される理由として、
複雑な国家レベル要因を介入させると国家行動の予測が不可能となる(須藤、63ページ)
という問題点がある。よってウォルツは国内要因を切り捨て、その結果対外政策論を放棄することにしたのである。彼は次のように言う。
「私の年老いた競走馬は〔対外政策という〕コースを走ることができず、もしトライしたとしても勝利することはできないだろう」(須藤、64ページ)
確かにネオリアリズムは大変有用な理論だけど、そこが俺が気に食わない点なんだ^^;ネオクラシカル・リアリスト達もそこが不満で、ローズは
ウォルツのネオリアリズムが国際システム重視の理論であり、国家の対外政策を対象外としてきたことへのリアリスト達の反論を重視し(須藤、63ページ)
そして、
エルマンは、リアリストによる具体的な「対外政策論」の必要性を強調し、ウォルツとの間に論争を起こすことになった(須藤、63ページ)
のである。ただ、もちろんネオクラシカル・リアリズムには複雑になってしまうということ以外にも問題点はある。丁度自分が思ったことと同じようなことを指摘している文章があった。
ローズは、ncrはリアリスト・パラダイムの核となる概念や前提を棄てることなく、現実の世界へより一層近づくことを可能にすると述べているが、これは本当であろうか。確かにncrは、システム要因やアナーキーといった概念や前提を「棄てて」はいないが、大幅に変更している。その変更の度合いはリアリスト・パラダイム自体を結果として破綻させるような性格を帯びているようにさえ見えるし、さらに言えばリアリスト・リベラリスト・コンストラクティヴィストというような区別さえ無化してしまう含意をも持つ。リアリズムにおけるこうした変容は、現実を説明する能力を高めることによってパラダイム間の差違が実質的に無意味となり、新たな国際関係研究の視座が再構築される可能性の一端をも示しているといえるだろう(芝崎「ネオクラシカル・リアリズムと対外政策の理論―Gideon Rose, "Neoclassical Realism and Theories of Foreign Policy", World Politics 51 (October 1998), pp.144-172.―」))。
とまぁ長々と理論について書いてみたけど、そもそも何でそんなに理論なんかにこだわるのかと言うと、
理論が不慣れな地勢に意味を付与する道路地図だからである。 理論なしでは道に迷う。われわれがただ単に常識を用いていると思っている時でさえ、自分たちの行動を導く暗黙の理論が、普遍はそこに働いている。 われわれは単にそれに気づいていないか忘れているだけである(ナイ、11ページ)。
我々が絶対に避けることができないのは「単純化された理論なしでは我々自分たちの周辺の複雑な世界を理解することができない」という事実である(ミアシャイマー『大国政治の悲劇』25ページ)。
社会科学の学者は、危険があることを知りつつ、自らの理論を使ってあえて未来の予測をしなければならないものなのだ。予測を行い政策の問題点をハッキリさせることによって、我々の周りの世界で起こる出来事をわかりやすく分析説明することができるからだ(ミアシャイマー、24ページ)。
国際政治の理論は、未来に何が待ちうけているのかを予測する上で有効な道具となる(ミアシャイマー、15ページ)。
理論に関して、変数(考慮する要素)は少なければ少ないほどいいという「
オッカムの剃刀」という考え方がある。
大雑把ながらよい指針は、最も単純なアプローチから始めることである。というのも、もし単純な説明が可能なら、それにこしたことはないからである。国際システム・レベルの説明が最も単純なので、よき出発点になる(ナイ『国際紛争』48ページ)。
ウォルツのネオリアリズムもこの考え方に依拠しており、国家が共通して影響を受ける国際システム要因から国家行動の説明を試みる(国際システムが国家行動を規定する)理論である。
国際システムのアナーキー性を重視することから国家の行動原理は自助となり、その国家行動は類似してくると理解される。つまり、国際社会における国家の差異とその機能の分化は考慮する必要がなくなることを意味する(須藤『国家の対外行動』54-55ページ)。
しかし、実際は国家はそれほど似通った行動をしているわけではない。その顕著な例は戦後の日本である。
リアリズムの観点からすれば、日本の安全保障政策と同盟行動ほど、その予想を裏切るものはない。ポスト冷戦期に日本は核武装するというケネス・ウォルツの「予想」が見事に外れたように、リアリズムでは日本の非核政策を説明できないからである(須藤、169ページ)。
そこで、
国家の対外政策に関する優れた記述は、システムや国内、そして他のもろもろの影響を考慮し、政策のどの面がどの要因によって説明できるかを具体的に示しているべきである(シュウェラー「危機の二十年 1919-39―なぜ国際協調は生まれなかったか―」『国際関係研究へのアプローチ』161ページ)
と考えるザカリア達ネオクラシカル・リアリストが登場した。
新古典的現実主義は独立変数と媒介変数の両方の役割を重視する(シュウェラー、160-161ページ)
簡単に言えば、ネオリアリズムが、「国際システム→国家行動」と考えるの対して、ネオクラシカル・リアリズムは「国際システム→国内要因→国家行動」と考える。この媒介変数としての国内要因とは、例えば意思決定者の認知などである。
新古典的現実主義のアプローチは、構造を行動の許容原因(permissive cause)として捉える。すなわち、構造が、事象を起こ「させる」のではなく、起こ「り得る」条件をつくりだすと見るのである。(シュウェラー、171ページ)
構造的条件は、あくまで特定の行動を許容する「潜在的」原因に過ぎない。構造的条件はアクターの行動に機会をもたらし、あるいは抑制を強いることによってある出来事がおこるのを可能ならしめるのである。A. ウォルホーズがかつて述べたように、国家の存続がそれほどかかっていない場合には、国家を取り巻く環境から生じる危険、あるいは好機が、いわゆる容赦のない(あるいは抗えない)強制力につながることはない。この強制力とは、同じ反応を引き起こさせたり、政策決定者から選択の余地を奪ってそう行動せざるをえないようにさせるものである。歴史上、政治指導者が、しばしば予測できなかった意図せざる方向にではあれ、出来事を形づけ、歴史の指針を変えた事例が数多くある。このことはシステム・構造要因によってアクターたちが同一の行動を強制的にとらされることはめったいにないということを示している(シュウェラー、166ページ)。
ただし、ウォルツは国際システムが国家行動を規定する考えているが、
国内要因が決して国家の対外行動に影響を与えることはないと主張しているのではない(須藤『国家の対外行動』58ページ)。
リアリズムが対外政策論になりえないと主張される理由として、
複雑な国家レベル要因を介入させると国家行動の予測が不可能となる(須藤、63ページ)
という問題点がある。よってウォルツは国内要因を切り捨て、その結果対外政策論を放棄することにしたのである。彼は次のように言う。
「私の年老いた競走馬は〔対外政策という〕コースを走ることができず、もしトライしたとしても勝利することはできないだろう」(須藤、64ページ)
確かにネオリアリズムは大変有用な理論だけど、そこが俺が気に食わない点なんだ^^;ネオクラシカル・リアリスト達もそこが不満で、ローズは
ウォルツのネオリアリズムが国際システム重視の理論であり、国家の対外政策を対象外としてきたことへのリアリスト達の反論を重視し(須藤、63ページ)
そして、
エルマンは、リアリストによる具体的な「対外政策論」の必要性を強調し、ウォルツとの間に論争を起こすことになった(須藤、63ページ)
のである。ただ、もちろんネオクラシカル・リアリズムには複雑になってしまうということ以外にも問題点はある。丁度自分が思ったことと同じようなことを指摘している文章があった。
ローズは、ncrはリアリスト・パラダイムの核となる概念や前提を棄てることなく、現実の世界へより一層近づくことを可能にすると述べているが、これは本当であろうか。確かにncrは、システム要因やアナーキーといった概念や前提を「棄てて」はいないが、大幅に変更している。その変更の度合いはリアリスト・パラダイム自体を結果として破綻させるような性格を帯びているようにさえ見えるし、さらに言えばリアリスト・リベラリスト・コンストラクティヴィストというような区別さえ無化してしまう含意をも持つ。リアリズムにおけるこうした変容は、現実を説明する能力を高めることによってパラダイム間の差違が実質的に無意味となり、新たな国際関係研究の視座が再構築される可能性の一端をも示しているといえるだろう(芝崎「ネオクラシカル・リアリズムと対外政策の理論―Gideon Rose, "Neoclassical Realism and Theories of Foreign Policy", World Politics 51 (October 1998), pp.144-172.―」))。
とまぁ長々と理論について書いてみたけど、そもそも何でそんなに理論なんかにこだわるのかと言うと、
理論が不慣れな地勢に意味を付与する道路地図だからである。 理論なしでは道に迷う。われわれがただ単に常識を用いていると思っている時でさえ、自分たちの行動を導く暗黙の理論が、普遍はそこに働いている。 われわれは単にそれに気づいていないか忘れているだけである(ナイ、11ページ)。
我々が絶対に避けることができないのは「単純化された理論なしでは我々自分たちの周辺の複雑な世界を理解することができない」という事実である(ミアシャイマー『大国政治の悲劇』25ページ)。
社会科学の学者は、危険があることを知りつつ、自らの理論を使ってあえて未来の予測をしなければならないものなのだ。予測を行い政策の問題点をハッキリさせることによって、我々の周りの世界で起こる出来事をわかりやすく分析説明することができるからだ(ミアシャイマー、24ページ)。
国際政治の理論は、未来に何が待ちうけているのかを予測する上で有効な道具となる(ミアシャイマー、15ページ)。
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まあ、法学部の学生は普段から法律やってるくらいだから理論を勉強してから入る下地ができているのかもしれませんね。
ウチのゼミでは教授がミアシャイマーとウォルトを教科書にしようといいだしましたからw
私なんぞは毎日毎日のデスロードで鍛えられている法律からの現実逃避的に国際関係や経済金融の本を流し読みしているだけですが、これがはかどって困るw
最近は商法の研究や法律系ゼミが忙しくて国際政治ゼミはしゃべりに行くだけになってます。う〜ん、なんとかせねば。
先日、全くどうでもいいっていう反応をしたゼミ生です(笑)まぁ、うちの学部は理論より実践重視の学部やから、法学部の人みたいに理論に興味持つ人も少ないんやろな〜。
あと、脅威均衡論の話は面白かったよ!ただ、その前にしゃべり過ぎて(というより、B君と共に君をイジり過ぎて)スタミナ切れしたまでさ…(苦笑)
NEET予備軍の星として、彼らに人生の道路地図も描いてあげて下さい★
日本ではIRの理論と対外政策論の区別があまりなされていませんよね。というか、日本語の対外政策論の本が少なすぎるのですが。須藤さんの本も『国家の対外政策』という題名のわりにはIR理論とごちゃ混ぜになっていた気がします。
ですから、対外政策やNCRなどを本格的に勉強されるなら、原書に手を出すのが一番効率的なのではないでしょうか。須藤さんの本はあくまで簡単な紹介程度ですしね。ちなみに、僕はジャック・スナイダーの"myths of empire"を買ってみましたが、わりと読みやすそうな感じです。
法学部(笑)のほうからきました
>法学部の人はそれなりに理論に詳しい人が結構いるということ。
一応、一回秋に国際関係理論(大矢根教授)をとることになってますし、大矢根ゼミは国際関係理論になってるからでは?国際関係入門(?、直接とったわけではないが)も大矢根先生で結構理論についてやったそうな。
でも自分は理論より歴史のほうがちょい好きでオッカムのかみそりとは逆に長々とした理論のほうが好きだったりと何かと異端ですねw
ちなみに例のスレこっそり復活してますね。こっそり
須藤先生の本は、『国家の対外行動』でしたね・・・。失礼しました。
こちらではお久しぶりです。
>法学部の人はそれなりに理論に詳しい人が結構いる
確かにうちでもIR理論を扱った授業がありますね。
そういえば、うちで教えている先生が昨年の国際政治学会で「戦略文化」について報告されたそうです。この前の授業ではコリン・グレイについて触れましたが、惜しむらくはあまり面白い授業ではないんですよねぇ・・・ちなみに先生は「戦略文化は流行るでしょうね(もしくはもう流行っている)」と仰っていました。
しかしNCRの文献を薦めておきながら、僕自身は最近は原点回帰して専ら歴史ばかりやっています。今お世話になっている先生もイギリス政治外交史の方ですし。まぁ、なんだかんだでシュウェラーとかも買っちゃっているんですけどね 笑
院でも理論を研究されていくのですか?
夢の中でも国際関係>
やりたい放題じゃないですか!
何と羨ましい!
>>hideomiさん
ウチのゼミでは教授がミアシャイマーとウォルトを教科書にしようといいだしましたからw
うはwwwいいですねwww
>>無職の自称「ブラッド・ピット」(21)さん
あんまりいじめないでやってくれ
>>うんぴんさん
>日本ではIRの理論と対外政策論の区別があまりなされていませんよね。
確かにそうですね。まぁちょっと難しいことだとは思いますが。
>僕はジャック・スナイダーの"myths of empire"を買ってみました
僕はその本に対するザカリアの書評論文は読みましたが、面白かったです。
http://www.jstor.org/stable/2539162
>>28さん
>自分は理論より歴史のほうがちょい好き
僕も歴史の勉強しないといけないなぁと思いつつ、理論の方が面白くて外交史の本とか全然読めていません。そろそろ外交史の本も読もうと思います。
>ちなみに例のスレこっそり復活してますね。こっそり
お、そうですか。
>>シャオさん
>ちなみに先生は「戦略文化は流行るでしょうね(もしくはもう流行っている)」と仰っていました。
是非そうあって欲しいですね〜
>院でも理論を研究されていくのですか?
そのつもりです。理論の面白さにとりつかれてしまったのでw
>>ケンプファーさん
まぁ夢の内容は全く覚えてないんですけどね^^;
そういう夢を見たっていう記憶があるだけで
一応大量の新聞記事に目を通しつつ、未来を多少は予想してるつもりですが。理論というと難しいですね。
簡単にするとネオリアリズム、それだと日本の行動が説明できないから、ネオクラシカル・リアリズムという事でしょうか。
そういえば。昔「アメリカ外交 苦悩と希望」という本を読んで、
http://www.kanshin.com/keyword/697715
に要約を載せてますが、こういうのはどうでしょうか?
おっしゃる通りです。
まさにその3つのレベルはウォルツが考えたのですが、彼のネオリアリズムは簡潔さを追求してその一つである国際システムだけで分析する理論です。それに対してネオクラシカル・リアリズムはネオリアリズムが考慮していない国内政治レベルと個人レベルの分析レベルを取り入れた理論です。
ちなみにその本は有名なので当然知っているのですが、まだ読んでいないんですよね。近いうちに読もうと思っています。
ほとんど本は読んでないのですが、スエズ危機を分かりやすく説明してる本はこれしかなかったのでかなり印象に残っています。
時流に乗ってる本という気もして読んだのですが、今読み返しても得るものあるかな。でも僕も国内政治レベル、個人レベルも考えたいので、ネオクラシカル・リアリズム興味ありますね。
お久しぶりですmm
理論を如何に使用するか…大変難しい問題ですね。
以下、私の元々のフィールドだった歴史屋さんの立場から一言。
理論はある事象を端的に理解する際に役立ちますし、事象に意味を与えるというのは御指摘の通りです。
ただ、現実に歴史を見てみると一つの歴史モデルではどうしても見落としが出てきてしまうように思います。それ故、理論を修正する…その繰り返しなのでしょうね。
今日の議論は初めて知ったのですが、確かにリアリズムも追求していくと結局、理論による予測というよりは、それこそ「歴史家の職人芸的予測」になっていきそうな気がします<ちなみに、私の研究対象の人物は後者のきらいがあります>。国際政治における変数を極限まで追求することになると、それによる予測は、最早理論屋のすることではなく、歴史屋の仕事ではないかと。
国際政治は(国内政治も)諸要素の「合力」であるように思います。
国際システム・諸国内事情(選挙民の感情、経済事情)、国同士の関係等の…。ケース毎によって、どの要素が前面に出てくるかは違います。
その際、理論を以て予測することの意義と言えば、やはり「正解に近い予測を簡単に導ける」事でしょうかね。
さて、とりとめのない事を書いてしまいました。流して読んで頂けると幸いです(苦笑)
ではではノシ
>navi-area26-10さん
興味を持ってもらえて嬉しいです。でもNCRに関する日本語の文献って数えるほどしかないんですよね〜。日本の国際関係論は理論より歴史重視だから仕方ないないのかもしれませんが。
>シタン先生さん
お久しぶりです。
歴史家って予測もするんですか?意外でした。
なんか前も言ったような気がしますが、自分のブログにも理論というか学問的なものを加えたいんですよね。うまくいくかどうか分かりませんがw
複雑な現実を分かりやすく単純化するのが理論ですが、それを分析に取り入れるのはとっても難しんですよね〜orz
頑張ってくださいw
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>国際協調主義に基づきクラスタ禁止条約に賛意を示したのは正解です。これで日本が東アジアで軍事緊張を生み出さない穏健平和国家ヴォルフ少佐クラスター爆弾禁止から思ったことクラスターなど無用日本が持ってるクラスターは旧式で、使っても新型の装甲車両には
ほとんど効果が無いと言われるし、小銃弾対応の防弾服が行き渡り得る
正規軍兵士に対する効果も思ったほクラスター無用論者米韓同盟の終焉:アメリカの対中抑止と中国寄りのアジア韓国が事大主義なのは地理的・国力的に仕方ないのかもしれませんね^^;
ちなみに韓国が中国を嫌っている以上に中国は韓国を嫌っている、というのもどこかで見かけた気ヴォルフ少佐米韓同盟の終焉:アメリカの対中抑止と中国寄りのアジア米韓の関係はソ連と中国という共産圏の脅威の時代の名残であって、現在アメリカの関心事は圧倒的に中東でしょう。
ただし韓国が中国寄りかといえば、先日の五輪聖火リレ文太イスラエル大規模軍事演習/オバマとイスラエルロビー彼は「イランを攻撃したら辞任する」とも言っていましたね。
>中東一帯で済めばいいんですがね
第三次世界大戦フラグがry
そうでなくても世界経済に及ぼす影響はヴォルフ少佐イスラエル大規模軍事演習/オバマとイスラエルロビー確かにイラク戦争の際にもイスラエル・ロビーはいろいろやってましたからねぇ。
某教授の言葉を借りるなら「唯一ではないが重要な要素」であることは間違いないでしょうねhideomi米韓同盟の終焉:アメリカの対中抑止と中国寄りのアジア自分も中国にバンドワゴンするのはちょっと嫌ですね〜w
>情勢にあわせてのらりくらりとしつつ、その間できるだけひっそりこっそり自国を守れるように防衛に力いれてくヴォルフ少佐米韓同盟の終焉:アメリカの対中抑止と中国寄りのアジア日本は昔からバンドワゴンできた感じですからねぇ・・。
感情的には嫌なんですが、現在の日本の状況を見てるとある意味仕方ないといいますか、ベストではないけれどベタとおりすがり。米韓同盟の終焉:アメリカの対中抑止と中国寄りのアジアアメリカとしては当然それを狙っているでしょうね。
福田は中国にバンドワゴンする気なのかな(笑)ヴォルフ少佐米韓同盟の終焉:アメリカの対中抑止と中国寄りのアジア日本としてはバックパッシングされる可能性が。ひょっとしたら福田氏はそれを見据えて親中的な行動をとっているのかもしれませんね。hideomi